倉掛まさひろ
- 1級ラジオ体操指導士
- 大分県立大分豊府高等学校同窓会長
- 大分県水泳連盟副会長
- 大分県ライフセービング協会会長
- 大分県聴覚障害者協会顧問
- 大分市手をつなぐ育成会顧問
- 大分がん研究振興財団評議員
- 大分スケートボード協会顧問
- 大分市消防団員(東稙田分団 鴛野部)
- 敷戸校区連合自治会 顧問
- 大分・滝尾駅間新駅建設促進期成会 顧問
- 保護司
1973年11月2日 | 神奈川県川崎市生まれ |
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1978年4月 | 大分市に転居 |
1986年3月 | 大分市立敷戸小学校卒業 |
1989年3月 | 大分市立稙田東中学校卒業 |
1992年3月 | 大分県立大分豊府高校卒業 |
1997年3月 | 広島経済大学経済学部卒業 |
1998年4月 | 衆議院議員事務所 ボランティア |
1998年8月 | 大分市出身 衆議院議員・衛藤 晟一事務所 入所 |
2005年8月 | 医療・福祉関係企業 就職 |
2009年2月 | 大分市議会議員 初当選 |
2013年2月 | 大分市議会議員 当選(二期)/子ども育成・行政改革推進特別委員長 |
2017年2月 | 大分市議会議員 当選(三期)/厚生常任委員長、総務常任委員長 |
2021年2月 | 大分市議会議員 当選(四期) |
日本体育大学出身の両親のもと、神奈川県川崎市で生まれました。大学職員をしていた父親の転勤により1歳6カ月で岡山へ、4歳のときに大分に引っ越してきました。両親は、福岡県と熊本県出身だったため、当然まわりには親戚や知り合いもいません。はじめこそ心細さを感じていたものの、大分で早く友達をたくさん作りたいと、幼いながらも「ボクは大分の人間だ!」と強く思っていました。 “大分を好きになること”、 “大分県民になること” がいつも心の真ん中にあった気がします。
幼い頃は重度の喘息を患っており、体力をつけるために小学校2年生から水泳をはじめました。元・体育教師の母親は、毎日ヘトヘトになるまで熱血指導。所属していたスポーツ少年団では、九州大会や全国大会出場のために、全国各地へ一人で遠征することもありました。水泳の技術はもちろん、挨拶や礼儀作法といった基本的マナー、忍耐力や協調性など、社会に出てから役立つ多くのスキルを身につけました。5年生の冬、外遊び中に左腕を複雑骨折。腕を切断するかどうかの大怪我でしたが、水泳を中心に辛抱強くリハビリを行い、医者も驚くほどの奇跡的な回復を遂げたのです。病弱だった少年が水泳に打ち込むことで、たくましく育ち、全国の少年団の仲間の中でリーダーとして頼られるほどに。水泳は今のわたしの精神力の礎になっていると言っても過言ではありません。
大学では、経済学の授業や、学友会の新聞局サークル、さまざまなアルバイトを通して、多くの経験を積みました。テレビ局や広島市民球場、ショッピングモールなどで行う大規模なイベントでは、アルバイトという立場ながら約100名の仲間をまとめて成功に導きました。広島市近郊の大学が合同で行うイベントでも中核メンバーとして参加。大学4年次には、広告代理店・イベント会社の起業メンバーに誘われ、学生と社会人という二足のわらじを履きながら、マネジメントや事業立ち上げプロジェクトに携わりました。この頃から、周囲を引っ張り、定めたゴールに導いていくことにやりがいやモチベーションを感じていました。
社会人1年目。人づてに国会議員事務所への転職の話をいただきました。新しい世界に胸を馳せて応募したのですが、いざ上京してみると、すでに別の方の雇用が決定したという予想外の事態に…。「欠員が出たときに、声をかけます」と言われ、いつ来るかわからない日を待つことに。定職にも就けないので、フリーター生活のスタートです。日雇いの仕事をしながら、「アルバイト現場までの電車代がない」、「牛乳パン1つで給料日まで残り3日をどう過ごそう…」と、不安と向き合う日々。約1年間、先の見えない毎日を送り、たどり着いたのは「自分は法律に守られながら生きている。グチや不満を言っていても何も変わらない。それなら自分のこの手で変えれば良いんだ」という答え。何となく目指していた“政治家”が、絶対に叶えたい目標へと変わった瞬間でした。
ようやく国会議員事務所で働くチャンスが巡ってきました。現場で何よりも驚いたのは、朝早くから夜遅くまで働く政治家の姿です。テレビドラマに登場するような、ろくに働かずおごり高ぶる人はおらず、皆が誰よりも国や国民のことを本気で考えていました。その後、大分県出身の代議士に師事。大分市議、大分県議、国会議員として名を挙げた、叩き上げの政治スタイルを身近で学びました。医療、介護用品を扱う民間企業にも就職し、営業マンとして働きながら、民間企業が抱えるさまざまな悩みや問題も肌で感じました。満を持して、平成21年大分市議会議員選挙に出馬。資金力や人脈など、大きな後ろ盾はありませんでしたが、皆様のご支援で当選することができました。市民一人ひとりの気持ちに寄り添い、大分市のために全力をかける“議員・倉掛まさひろ”のスタートラインに立ちました。