倉×対談

若手議員たちが考える
“私たちの役割”とは【前編】

2020/11/26

GUEST PROFILE

大分市議会議員

穴見のりあきさん
1983年11月8日生まれ。民間企業勤務、議員秘書経験を通して、市民の想いが充分に市政に届いていないことを実感。地域で暮らす人が笑って過ごせる街にするため、2017年に市議会議員の道へ。「安心して子育てできる、若者が活躍できる、高齢者が安心・安全に暮らせるまちづくり」を政策に、地域で暮らす人の想いを市政に届ける役割を目指す。

大分市議会議員

おの ひとしさん
1981年6月2日生まれ。15歳で陸上自衛隊少年工科学校へ入隊。2009年大分市議会議員選挙に初当選。信頼できる政治の実現のため「良いものは良い、ダメなものはダメ」と、態度をはっきりさせる姿勢で議会活動に臨む。趣味は、映画鑑賞。好きな俳優はトム・クルーズ。

大分市議会議員

まつき 大輔さん
1987年9月3日生まれ。2013年に25歳で大分市議会議員に初当選。全ての子どもが生まれた環境に左右されず、夢と権利が守られる社会、多様な個性が尊重され誰もが的確に社会保障に接続することのできる社会の実現を目指す政策企業家。2020年に大分大学大学院に入学し、子どもの貧困問題を研究中。
市議会議員・倉掛まさひろが様々な分野の方々とトークを繰り広げる「倉×対談」。1回目は、大分市の若手市議会議員4人がそれぞれの思いや考えを語り合う座談会を開催。その模様を前編・後編に分けてお届けします。前編では、コロナ禍における若手政治家の役割、市議会議員の役割など、自分たちが目指す大分市について、たっぷり語りました。

コロナ禍で感じた市議会議員の役割。

おの:コロナ時代が到来し、私たち市議会議員が本当にやるべきことが見えてきた気がします。政治がそれほど必要とされていない状況が続いていましたが、「新型コロナウイルス感染症の支援制度を知らない方も多い。市民の皆さんに周知しよう!」と倉掛さんが若手議員を集め、いち早く取り組みが始まりました。制度の執行権を持つのは市長ですが、周知徹底、改善案を提案するのは私たち市議会議員なんだと強く感じました。

松木:そうですね。これまで社会保障制度を整備してきましたが、コロナを通して、本当に困った人たちにスピーディーに届けるための方法を突き詰めていく必要があると思いました。やはり、届けるべき人にしっかりと社会保障を届けることが重要です。

穴見:コロナ禍において民間企業が求めていることと、行政がやろうとしている取り組みをスムーズにつなげるために、私たちが橋渡し役にならなくてはいけません。企業の要望や意見を吸い上げて行政に伝え、他の自治体の情報を取捨選択し、大分市でも取り組めないかと提言する。100点満点ではないかもしれませんが、できる限りのことはやってきたつもりです。倉掛さんもSNSをなどで情報をシェアして“伝える”ことに注力されていましたよね。

倉掛:はい。コロナが及ぼした影響を、客観的ではなく主観的に見ることを意識しました。コロナによって、明らかに私たちの生活は壊され、経済も落ち込みました。世の中が今まで経験したことのない苦しみの中で、自分たち政治家が何もできないのであれば、政治家をやっている意味はないと思います。困っている人たちが求めているものは何なのか、積極的に情報発信を行うことが重要なんです。

市議会議員だからこそできることとは?

穴見:政治家は、市議会議員と県議会議員、国会議員などに分類されますが、それぞれ事業や補助、支援策が違うだけ。もちろん、それぞれの事業について知っておく必要はありますが、役割分担して、しっかり自分たちの役割を全力で果たしていきたいですね。

おの:そうですね。もちろん、どんな立ち位置でもモチベーションは変わりませんが、市議会議員の場合は、自分の市だけで完結できれば、さまざまな業務にスピード感を持って取り組めるというメリットはあります。

松木:国会議員と県議会議員、市議会議員は政治家として一束で考えられることもありますし、国政が重要だという認識の方も多いので、どうしても国政選挙の方が投票率も高い。しかし、議員活動は、国、県、市、それぞれ役割が異なります。例えば、税金の支出額で国と地方自治体と比べると、地方自治体が6割、国が4割と、地方の方が支出額が大きいんです。それは、地方が住民に密接する行政サービス、社会の保障を行い、地域に密着した政策は地方自治体が多いからです。だからこそ国政>市政というイメージを壊し、より良い暮らしのためにも市政のことをじっくり考えていくことが求められます。

倉掛:松木議員が言われるように、教育や医療、介護、自治会の運営など、市政は皆さんの生活に直結することが多いんです。だからこそ市議会議員の仕事はすごくやりがいがある仕事だと思います。

「大分を変えたい」という強い気持ち

倉掛:皆さんが政治家を目指したきっかけは何だったのですか?

穴見:若い頃は政治にあまり興味がありませんでした。いとこが国会議員を務めており、10年ほど前に業務を手伝ってほしいと頼まれたのが始まり。徐々に政治について学び、市議会議員の先輩方と関わるなかで、市政もぐっと近くなり、「大分市はこのままで良いのだろうか」という疑問が生まれました。「自分の生まれ育った大分を変えていきたい」と思ったのが大きな理由です。

おの:私も政治家になるなんて予想もしていませんでしたし、身内にも政治家はいません。政治家を志したきっかけは、自衛隊を退職後に訪れたパプアニューギニアでのボランティア経験です。貧困国ですごく過酷な状況でしたが、生きている実感も大きく、ほんの小さなことでも幸せを感じることが多かった。しかし、帰国後の日本では、恵まれた環境にもかかわらず、同じような充実感を得られなかった。そんな暮らしが続き、次第に世直しをしていかなければならないと感じました。

松木:私の場合は、子どもの頃からの夢が政治家でした。実際に小学校5年生の頃に、「夢は総理大臣」という作文も書いています。皆に幸せに暮らしてほしいという真っ直ぐな想いを持った少年で、「それを叶えられる仕事はなんだろうか」と考え、自然と政治家への道を歩んでいました。

倉掛:実は私は、もともと政治家が嫌いでした。本来、政治家とはリーダーであり、皆さんの旗振り役であるべきだと考えています。世の中をより良く変えていくために全力を尽くすヒーローであるべきだだし、皆さんから信頼される人でいなければいけない。でも、そんなイメージとかけ離れている政治家の方も多かった。だからこそ世の中の苦しんでいる人たちの力になりたいと思ったのがきっかけですね。政治家を子どもたちの憧れの職業にしていくことも夢のひとつです。

前編では、コロナ禍の中で感じたことや、政治家を目指したきっかけなどを語っていただきました。後編では、いよいよ大分市政に対する今後のビジョンなどお伺いします。

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